一度生活の順序が崩れると頭と体が混乱に陥る。だがそれまでに秩序ある習慣を築くことができていれば、元の生活に復帰することは困難ではない。混乱と同時に絶望を味わうことは避けられないが、その絶望が復帰を励ます力となることも否めない。だが、本当であれば一度も絶望を経験したくないのだ。なぜなら、絶望は実に実に不愉快だからである。絶望も一部分の有益な役割を果たしているとしても、正常ともいえる状況においては絶望を味わいたい思いは微塵もない。それでも、絶望は普遍ではないはず。なんのどれが絶望に値するかは候補として挙がるにとどまる。そして、確実な回避を可能にする手段などないことも知っている。絶望と共存する道を探ることが、健全な生活を送る条件なのかもしれない。理性でそれがわかっていても、感情はそれを許さないのだが。

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